1890年にジョセフ・オピネルが開発した折りたたみ式ナイフは、フランスの人々の生活に深く根付き、フランス文化の象徴として世界中で愛されるようになりました。何世代にもわたってオピネル一族に受け継がれ、発展してきたオピネルナイフ。その歴史と変遷を紐解いてみましょう。
もっと詳しく知りたい方は、フランスのサン=ジャン=ド=モーリエンヌにあるオピネル・ミュージアムをぜひ訪れてみてください。
鍛冶工房の発足
行商人であったヴィクトル=アメデ・オピネルは、国内を旅する中で釘の鍛造方法を学びました。彼はサン=ジャン=ド=モーリエンヌに近いアルビエ=ル=ヴィユーの村落ジュヴダスに鍛造工房を設立します。アメデの死後は、共に働く息子ダニエル・オピネルが工房を継ぎました。後にダニエルは鍛冶職人として名をあげ、鉈や鎌を求める農民たちから厚い信頼を得ます。
創立者ジョセフ・オピネルの誕生
ジョセフ・オピネルは、ダニエル・オピネルの長男として、アルビエ=ル=ヴィユーの村落ジュヴダスに1872年に生まれました。ジョセフには、二人の弟ジャンとアルベール、三人の妹マリー、アルフォンシーヌ、シルヴィがいました。
オピネルナイフの誕生
1890年、18歳のジョセフ・オピネルは、家業である鍛冶工房で働いていました。新しい機械やその技術の虜だった彼は、自分でカメラを作りあげ、地元のイベントや結婚式でカメラマンとしても活躍。彼は情熱と探究心に導かれるまま、当時最新の技術を駆使した「ものづくり」を決意します。昔ながらの手仕事を好み、機械にうんざりしていた父ダニエルの意向に反し、ジョセフはわずかな時間も考案したポケットナイフの開発に取り組みました。そして、ついにオピネルが誕生したのです。
用途にあわせたサイズ展開
ジョセフ・オピネルは、手の大きさや使い方に合わせて、さまざまなサイズのナイフを作ることを思いつきました。1897年にはNo.01からNo.12までの12種類のサイズを開発。最も小さいNo.01には懐中時計のチェーンに取り付けられるリングが付いていました。しかしながら、No.01とNo.11の製造を1935年に中止。そのため、現在では最小サイズがNo.2で刃渡り3.5cm、最大がNo.12で刃渡り12cmとなっています。
70年代には、宣伝用に巨大なナイフが作られ、店頭に飾られました。それを目にした人々はオピネルを求め、小売店からオピネルに大量生産の依頼が急増したのです!ちなみに、巨大なNo.13は刃渡り22cmで、全長はなんと50cmにもなったそうです。
初の工場建設
商業的な成功を収める中、大量生産の必要に迫られたジョセフは、父の鍛冶工房に近いポン=ド=ジュヴダスに、新たに工場を建設しました。生産を合理化し、より高速にハンドルを製造できる機械を開発した彼は、水力タービンによって、村で初めて電気を手に入れたのです。彼は、工場、自宅に次いで、工場に向かう小道にまで電気を引きました。すると彼の電気を見た村の老婦人が、「どうやって電線に油を流し込んだのかしら!?」と驚嘆したそうです。
「王冠を頂く手」の刻印
1565年、フランス国王シャルル9世は、刃物の製造と品質を証明するため紋章を刻むよう、鍛治職人に命じました。この伝統を受け継ぎ、1909年、ジョセフは「王冠を頂く手」を紋章として選びました。祝福の手は洗礼者聖ヨハネのもので、オピネル一族の生まれ故郷であるサン=ジャン=ド=モーリエンヌの紋章から引用されたものです。ジョセフは、サヴォワが公国であったことを想起させるために、王冠を付け加えました。それ以降、オピネルのナイフや工具には、「王冠を頂く手」の刻印が施されています。
「アルパイン国際博覧会」金賞受賞
1911年、ジョセフは、トリノで開催されたアルパイン国際博覧会に参加しました。木彫の額の巨大なショーケースには、ポケットナイフ「オピネル・サヴォワ」全12サイズをはじめ、キッチンナイフ、テーブルナイフ、かみそり、はさみ、剪定ナイフ、栓抜きなど多彩な製品を展示し、博覧会を大いに盛り上げました。これには審査員一同が深く感銘を受け、ジョセフに金メダルを授与したのです!この時のショーケースは今もオピネル社で展示され、その賞状は資料室に大切に保管されています。
シャンベリーへの工場移転
ジョゼフは、辺鄙なこの地にいても、これ以上の発展はないと考えました。戦争のさなか、彼は旅に出ては新天地を探しまわり、シャンベリー郊外のコニャンにある皮なめし工場を見つけます。その工場は古かったものの、シャンベリー駅の近くにあったため、ジョセフは迷わず買い取りました。大きな鉄道と道路網の中心にあることは、極めて重要だったからです。工場の移転にあたって、ジュヴダズからサン=ジャン=ド=モーリエンヌまではラバと牛を使い、そこからシャンベリーまでは列車での移動となりました。数ヶ月の改装期間を経て、1917年、ジョゼフは二人の息子マルセルとレオンと共に、オピネルのさらなる発展に着手します。
工場の火災
ハンドルを成形するときに出る木屑は、昔から工房の暖房に使われていました。現在も工場の暖房には、これらを組み合わせたボイラーを使用し、年間約20万リットルの燃料を節約しています。
1926年1月、きちんと消火していなかった薪ストーブが火元となり、建物全体が焼失する事故が発生。オピネル一族はこの災害を乗り越え、同じ敷地内に新たな工場を建設することにします。
新工場の再建
火事から数ヵ月後には近代的な工場が建設され、マルセルの長男モーリスが洗礼を受けたのと同じ日に、落成式が行われました。現在、この工場は閉鎖されましたが、工場内で2014年まで唯一稼働していた口金制作の工房は、シャンベリーの工場に移転されました。
継承と発展
1950年、マルセルの長男モーリス・オピネルも加わりました。23歳の彼は、最初の数年マーケティングと管理を担当する叔父レオンの元で働きました。マルセルは、父ジョセフと同じように機械が大好きで、工場と生産を担当。当時、工場は50人を超える従業員を抱えていました。
ビロブロック®の発明
もともとオピネルナイフは、刃、固定口金、リベット、ハンドルの4つの部品で構成されていました。固定口金は、刃をハンドルにリベットでしっかり固定するために必要なものでした。1955年、ナイフの安全性向上に取り組んでいたマルセルは、ビロブロック ®を発明。回転する口金を固定口金の上でスライドさせ溝を閉じることで、刃を開いた状態でロックできるようにしたのです。とてもシンプルなアイデアですが、実用化は困難なものでした。90年代に入り、刃を閉じた状態でもロックできるようにビロブロック ®を改良。当初は一部のモデルのみに採用されていましたが、2000年には折りたたみ式のほぼすべての製品に搭載されるようになりました。
ジョセフ・オピネルの死
1月29日は、オピネル一族にとって忌まわしい日です。1926年のこの日、コニャンの工場が火災に見舞われました。1960年の同じ日、ジョセフが生涯を会社のために捧げた後、88歳で亡くなりました。ジョセフが世を去ってから30年後の1990年1月29日、ジョセフの息子マルセルが亡くなりました。
大規模生産拠点をルヴェリアーズに新設
オピネルの躍進は続き、70年代初めにはシャンベリー郊外のコニャンの工場では手狭になりました。そこで、数キロ離れたシャンベリーの工業団地ルヴェリアーズに、より大規模で近代的な生産拠点を新たに建設することにしたのです。当初は木工、組み立て、梱包のための施設でしたが、2003年からは全工程の主だった施設となり、本社も置かれるようになりました。
『世界の美品100特選』に選出
オピネルナイフは、その美しさと機能性で何世代にもわたって愛されてきました。一世紀以上もの間、デザインは変わることなく受け継がれ、私たちの伝統と誇りになっています。その功績を讃えて、1985年にはヴィクトリア&アルバート美術館の『世界の美品100特選』に、ポルシェ911やロレックスと並んで、オピネルのナイフが選出されました。
『ラ・ルース百科事典』に掲載
フランスの文化遺産であるオピネルは、多くの出版物にその名が引用されています。『ラ・ルース百科事典』にBIC、Frigidaire、Solexと並び、登録商標として記載され、次の通り定義されています。
【ナイフを閉じたときに刃が挿入される溝がある木製ハンドルを特徴とする折りたたみ式ナイフ】
一族の歴史は続く
父モーリス・オピネルの後継者として、息子のドゥニ・オピネルが就任しました。
ビロブロック®を折りたたみ式モデルに全搭載
1955年にマルセルが発明したビロブロック®は、90年代に刃を閉じた状態でもロックできるように改良され、2000年には折りたたみ式の全製品にビロブロック®搭載。使用するときも、持ち運ぶときも、刃を安全にロックできるようになりました。
ルヴェリアーズが新たな拠点に
生産性の向上とさらなる発展のため、すべての事業活動をひとつの拠点に集約することに。2003年、本社をコニャンからルヴェリアーズに移転し、既存の工場に隣接して新社屋が建設されました。シャンベリーのアンリ・ボルドー通り508番地に構えるオピネルの建物は、現在5,000 m²の面積を有しています。
美しいプロダクトデザインとして認定
17世紀以降のプロダクトデザインに関する英国の参考書『Phaidon Design Classics』に、永遠に色褪せないデザインとして専門家が選んだ999点のうちのひとつに選ばれ掲載されました。
料理界から再評価
ピーラー、ペティナイフ波刃、ペティナイフ、ベジタルナイフからなる「エッセンシャルズ・コレクション」を発表。料理界から再び注目を集めました。
出版した料理本が名誉ある賞を受賞
サヴォワのフランス統合150周年を記念して、オピネルは料理本『La cuisine à l'Opinel (Cooking with Opinel)』を出版。サヴォワ地方、オート=サヴォワ地方、ピエモン地方、ニース地方のミシュラン星付きシェフ25人によるレシピとポートレート、そしてサヴォワの美食の歴史に関するアニー・ビクターの興味深い考察や、アントニー・コタレルの美しい写真で構成されています。本書は、世界各国で出版された優れた料理本・ワイン本に与えられ、「料理本のアカデミー賞」と呼ばれる『グルマン世界料理本大賞2009』で、フランスで最も優れた本部門の一位を獲得しました。
ハンドルに新素材を採用
オピネルで初めて、ハンドルにポリマー樹脂製を採用したナイフが発売されました。ポリマー樹脂は、水や高温に優れた耐性を保持し、軽量なのに高い強度が特徴です。
オピネルミュージアムの開設
1989年、ジャック・オピネルはオピネル社の承諾を得て、鍛冶職人であった祖父ジャン(ジョセフ・オピネルの弟)の工房を、オピネルミュージアムとして開設しました。サン=ジャン=ド=モーリエンヌに構える無料のオピネルミュージアムは、サヴォワで人気の観光地のひとつになっています。オピネル一族の出自やサヴォワのルーツ、製造工程の変遷などが展示され、現在の製造工程を映像で観ることもできます。
オピネル一族の物語が書籍化
2014年、類をみないオピネル一族の歴史と物語を伝える一冊が上梓されました。ミシュランガイドの元ディレクターで作家・ジャーナリストのジャン=フランソワ・メスプレードによって160頁にまとめられた本書は、料理人ポール・ボキューズやミシェル・デジョワの寄稿文ともに、オピネル一族の秘話や、従業員の証言を通して語られる物語が綴られています。写真家ティエリ―・ヴァリエによる美しい写真も必見です。
海外支店 OPINEL USAの設立
2016年春、初の海外支店を開設。シカゴを拠点とするOPINEL USAは、アメリカにおけるマーケティングと開発を統括しています。
初のオピネルストアがオープン
2017年7月、オート=サヴォワ地方のアヌシー旧市街の中心部に、初のオピネル・オフィシャルストアをオープンしました。
原点回帰したコレクションを発表
キッチンナイフのハイエンド・コレクション「Les Forgés 1890」を発表。刃物は丸棒鋼から鍛造され、ブナ材のハンドルは伝統的な折りたたみ式ナイフへのオマージュとなっています。
創立130周年
オピネルが息の長いブランドとして確立できたのは、創業者のジョセフ、息子のマルセルとレオン、孫のモーリス、曾孫のドゥニとフランソワ、そして会社の発展に貢献してくれた従業員や協力者のおかげです。今もサヴォワに拠点を置き、歴史と伝統を重んじながらも成長を続けられたのは、光栄なことです。これからも初心を忘れずに、産業設備や製品の研究開発、新しい市場の獲得に邁進し、さらなる発展のために努めていきます。私たちは130歳を迎えましたが、これからも鋭い切れ味で時代に順応し、オピネルの明るい未来を切り開いていきます。